私には弟がいる。
今はなかなか会えないけれど、会えば近況も報告するし、話していて楽しい。
小学生の頃は同じスポーツを兄弟で習っていたし、そろばん教室にも一緒に通っていた。
当時は私のほうが年上だったから、スポーツも弟より出来たし、そろばんも進級が早かった。常に追いかけられる立場だったし目標とされる立場であった。
子供ながらにそれが誇らしかったし、実際は弟に対して威張ってもいた。子供の頃はそれが「単純な歳の差」とわかってはいても対して考えもしていなかった。
数年後、弟が私の年になった時、当時の私の記録はことごとく抜かれていく。スポーツでも勉強でも。
その当時、私は自分なりには頑張っていた。スポーツも勉強もサボった記憶は無いし、ダメダメだったわけでもない。でもそれだけ。自分なりの頑張ったは、まわりから見たら対して頑張った部類には入らなかったのかもしれない。結果だけ見れば、結果が出ていない分、頑張ったとは言えないのかもしれない。
“おっさん”と呼んでいた年代になった今、久しぶりに実家へ帰り、ふと弟の部屋に行くと、難しそうな本や取り組んでいたスポーツに関する本がズラリ。
「あぁ、言わなかっただけで弟はずっと努力を続けていたんだな」と納得。
勉強机には世間的には一流大学と呼ばれる母校の「E判定」の模試結果が貼られていた。
そこから現役でその大学に合格したのだから、相当な努力をしたことは想像つく。
そんな弟は言わないだけで、今でもずっと静かな努力を続けているのだろう。
私はそんな弟を誇りに思う。
前を歩いていた自分が、いつしか弟の背中を見るようになった。
素直に尊敬できるから、妬みや屈折した感情はない。
でも悔しいわけではないが、それに似た感情は少しだけある。
それは兄としてとかいうわけではなく、私自身が自分に自信を持って行動したと言えることが少ないから。
弟が何かを成し遂げる、結果を出すたびに、自分自身に対して悔しい気持ちになる。
漫画『宇宙兄弟』では、兄が一念発起し夢への階段を駆け上がる?(しっかりと読んだことないので間違っていたらすいません。)が、現実はそんなことは到底起きない。
私と弟も、同じステージやフィールドではないし、争う関係にもない。
でも少なくとも私は弟に刺激を受け、色々な場面で「頑張ろう」と思わせてくれる。
私も自分なりに目標を持って、しっかりと結果の出せる努力を続けられる人間になりたい。
そう思わせ続けてくれる弟には感謝だ。
直接は言いにくいけど、年末年始に会えるのが楽しみだ。